2008年6月
| 書 名 | 茨木のり子詩集 |
| 著者名 | 茨木のり子 |
| 出版社名 | 岩波文庫(2014年)、思潮社(現代詩文庫;1969年) |
6月は梅雨の季節。熱帯の雨季と異なって、本当は毎日毎日雨だというわけでもないのに、なんとなく鬱陶しい気分になりがちです。ところが、茨木のり子の次の「六月」という詩に出会って、私の6月のイメージは根底から塗り替えられました。
どこかに美しい村はないか/ 一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒/ 鍬を立てかけ/
籠を置き/ 男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか/ 食べられる実をつけた街路樹が/ どこまでも続き/
すみれいろした夕暮れは/ 若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか/ 同じ時代をともに生きる/
したしさとおかしさとそうして怒りが/ 鋭い力となって/ たちあらわれる
このわずか12行の詩に歌われている世界はひとつの「桃源郷」です。しかし、世事から離れた隠れ里としての「桃源郷」でなく、若者がいて労働と満ち足りた休息のある、みずみずしい力にあふれた「桃源郷」です。現実の変革へと踏み出す拠点となる「桃源郷」です。
この詩を含む茨木のり子の詩集に、二十歳のとき初めて出会いました。1年の12ヵ月が全部6月であるような、鬱陶しい気分とかたくなな心に囚われていた大学生にとって、こんなにも颯爽として、眩しいほどに美しい別の6月のイメージのあることが驚きでした。それから、折にふれそのイメージに支えられて、二十代というむつかしい人生の一時期を過ごしえたことを、私は今でもこの詩人に感謝しています。
茨木のり子は1926年に大阪で生まれ、6歳のときに愛知県西尾市に移り、小学校時代と多感な十代の大半をこの地で過ごしました。その後、19歳のとき東京で敗戦を迎え、戦後の1950年から詩を書き始めます。彼女の初期の詩集『対話』と『見えない配達夫』に収められている詩のほとんどは、この年から10年の間に書き溜められたものです。二十代後半から三十代前半にかけて、戦争によって奪われた青春の記憶と向き合いつつ、背筋をしゃんと伸ばして、しなやかな感性で日々の暮らしとその未来を歌ったこの二つの詩集が、私はとても好きです。
茨木のり子は、一昨年、80年の長い生涯を閉じました。その人生を振り返って、亡くなる直前に書いたと思われる文章の中で、彼女は「今まで読んできた詩のなかで、一番好きな詩」として、次の短い一節を挙げています。「年をとる それは青春を 歳月のなかで組織することだ」(ポール・エリュアール,大岡信訳)[茨木のり子・長谷川宏『思索の淵にて―詩と哲学のデュオ―』]。戦争が終わって、自らの青春を次のように歌った詩人は、その後の人生をエリュアールの詩のように見事に生き抜いて他界しました。
私が一番きれいだったとき/街はがらがら崩れていって/とんでもないところから/
青空なんかが見えたりした (中略)
私が一番きれいだったとき/私はとてもふしあわせ/私はとてもとんちんかん/
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた/できれば長生きすることに/年をとってから凄く美しい絵を描いた/
フランスのルオー爺さんのように/ ね
