2007年8月
| 書 名 | 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド |
| 著者名 | 村上春樹 |
| 出版社名 | 新潮社(新装版:2005年;文庫上下合本版:2020年) |
もう20年以上も前、ブレンダ・リーの曲を車の中でよく聴いていました。なかでも、The end of the worldが好きでした。村上春樹の小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の冒頭は、この曲の歌詞の引用から始まります。「太陽はなぜ今も輝きつづけるのか/鳥たちはなぜ唄いつづけるのか/彼らは知らないのだろうか/世界がもう終わってしまったことを」。そして、この小説の終わり近く、心を失った主人公がかつての心の世界の記憶をかすかに蘇らせるきっかけとなるのは、『ダニーボーイ』という歌です。つまり、昔この曲も好きだった私にとっては、この小説は徹底してノスタルジックな音楽小説なのです。そういう個人的な読み方を度外視しても、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は村上の小説群中、白眉の傑作といえるでしょう。物語は、二つのまったく別のSF的世界が同時進行することによって展開します。一方に、心を失った人たちの静謐でモノクロームな「世界の終わり」があり、他方に、ハリウッド映画のように目まぐるしく主人公が動き回る動的な「ハードボイルド・ワンダーランド」があって、読者にはこの二世界の繋がりが読み進むにしたがって次第に開示されていく仕掛けになっています。読者はきっと、小説の半分を構成する「世界の終わり」の、音も色彩も消え、生命的なもののミニマムとなった世界の描写に、不思議ななつかしさを感じることでしょう。この「世界の終わり」の感触は、私の中ではなぜか、アガタ・クリストフの『第三の嘘』や『昨日』(いずれも早川書房)の読後感と重なり合います。喪失感や温かみのある世界との隔絶感を描いている点で同質性があるせいでしょうか。後者の2冊も併せて読むことをお奨めします。
