2007年12月
| 書 名 | 大江健三郎 作家自身を語る |
| 著者名 | 大江健三郎、聞き手・構成:尾崎真理子 |
| 出版社名 | 新潮社(2007年) |
今の若い人たちにとって、「ノーベル賞作家」というフィルターを通さずして大江健三郎と向き合うことは不可能でしょう。しかし、私のような団塊の世代にとっては、大江健三郎は1960年代の若者の希望や、その希望と裏腹な閉塞感を見事に描いた作品群をもって登場した若き前衛でした。学生の頃アルバイトで稼いだなけなしのお金で、出たばかりの『大江健三郎全作品』6巻本を買い、蒸し暑い梅雨の季節から夏の終わりにかけて、畳に寝転びながらその全部を読んだ当時の記憶がなつかしく蘇ります。大江健三郎は、1963年に長男光君が障害をもって生まれた後、『個人的な体験』を書くことによって若き日の小説群から決別し、その後は郷里の四国の奥深い谷間の小宇宙を舞台とする神話的な物語や、1970年代以降は光君を中心とする家族の物語を紡ぐ作家へと変貌をとげていくことになります。私はその頃から大江健三郎を読まなくなりました。彼の中での「若き前衛」の時代の終わりとともに、私の中でも青年期が終ろうとしていたからでしょう。
2年前、万博に合わせて本学が国際学生シンポジウムを企画し、その講演者として大江健三郎さん(以下「さん」付けとします)をお招きしました。そのとき、私は役目上、大江さんとの会食に列席する幸運に恵まれ、若い頃の憧れの人に40年近い歳月を経て初めて会うことができました。大江さんは私が想像したよりは大柄の、耳の大きい人でした。
今年の5月、70歳を越えた大江さん自身が自らを語った本書が出て、私は改めて、大江さんの人生の節々の出来事とその人柄について、さらに詳しく知ることになりました。作家なら当然なのですが、大江さんが見かけの穏やかさとかけ離れた「激しさ」をもった人であること、進歩的知識人としてのスタンスへの嫌がらせや攻撃に対し絶えずストレスを感じ続けてきたこと、それでも破滅的な作家像に自らを重ねないで踏み止まり、勤勉な作家生活を続けてきたこと等々、どの点にも興味は尽きませんでした。例えば、大江さんの「激しさ」は、「今、一番の願いごとは?」と訊かれて、「東アジアの非核化。あいつ(複数)の消滅」と答えていることに見られます。私はこの返答に、ノーベル賞作家という肩書きから少しだけ自由になった大江さんを覗き見て、かえって妙に納得もしたのでした。
大江さんの小説で私がいちばん好きなのは、『空の怪物アグイ』という初期の短編です。大江さんの「激しさ」の中にある「優しさ」が、最もよく出ている作品だと思います。また、エッセイ『ヒロシマノート』からは、思想的に最も大きな影響を受けました。
