2008年9月

書 名 Être et avoir:ぼくの好きな先生
著者名 監督・編集:ニコラ・フィリベール
出版社名 2002年 / フランス映画

 

大学教員という職業をもう30年以上もやっているのに、そして今は教員養成を主とする児童教育学科の教員なのに(あるいはそれ故にか)、先生を描いた映画や学園もののドラマがあまり好きではありません。特にテレビドラマにかつてよく登場した、生徒と喜怒哀楽をともにしながら夕陽を背負って明日に向かって立つ熱血教師像が大嫌いでした。自分があまりにそうした教師像からほど遠いという自覚の裏返しかもしれません。

ですから、学校の先生が主人公の映画は久しく見たことがありませんでした。ところが、3年前にたまたま「Être et avoir」という記録映画に出会い、こうした偏見を少し改めることができました。私は発達心理学の研究者なので、子どもが初めて書きことばの世界に入っていくときに、何に困難を覚え、それがどのように克服されていくのかに関心があります。「Être et avoir」というタイトルは、英語で言えば「be and have」にあたり、基本動詞の正しい活用と書き方の学習から始まるフランスの小学校教育の全体を象徴しています。したがって、私は、フランスにおける初期の書きことば教育の実情を少しは知り得るのではと期待して、この映画を観たのでした。

映画は、フランス中部のオーベルニュ地方にある過疎地の村の小学校の半年間の記録です。小雪の舞う冬の寒い朝、スクールバスが広い村域に点在する家々を回り、子どもたちを乗せて学校に向かいます。生徒は、全部合わせても3歳から11歳までの13人。フランスでは幼稚園はécole maternelleといって、école(学校)のひとつと考えられていますから、人口密度が希薄な山村部では、きっと小学校は幼稚園も兼ねているのでしょう。学校では定年間近のロペス先生が子どもたちを迎えます。年齢の高い子どもたちと低い子どもたちの二つのグループに分かれて、ひとつの教室の中で始まる学校の一日。映画では、ときどき子どもたちどうしの諍(いさか)いはあっても、「出来事(événement)」と呼べるような出来事は何も起こりません。こうした学校の淡々とした日々が丹念に記録されていきます。

13人の子どもと向き合う初老のロペス先生は、大袈裟に笑ったり怒ったり、大声をだしたりは決してしません。子ども一人一人に丁寧に寄り添いながらも、子どもと狎(な)れあわず、子どもに阿(おもね)りません。そして、子どもが発した疑問に自分で答えを見つけていく過程に、忍耐強く付き合います。以下は映画の冒頭に出てくる一例です。

(アルファベットを習っている途中で突然、5歳ぐらいの子どもが先生に尋ねる)

子ども「いまは午後、午前?」

先生 「どっちだと思う?」

子ども「午後?」

先生 「午後の前に何をする?」

子ども「食べる」

先生 「昼食を食べた?」

子ども「まだ」

先生 「まだなら?」

子ども「午前」

先生 「そのとおり」

これは何ということもないやり取りですが、私はすっかり感心してしまいました。日本の小学校教師であれば、授業の文脈から外れた子どもの質問を受け付けることは、まずないでしょう。受け付けたとしても、「午前」とすぐ答えて、元の学習に戻るよう指導するでしょう。ところが、ロペス先生は、子どもの発した脈絡のない疑問をそのまま受け止めて、時間を区切るカテゴリーの意味を子どもが自分で発見・理解していく手助けをします。映画では、こうした種類の会話を13人の一人一人の子どもと交わす場面が、形を変えて随所に出てきます。少し大袈裟な言い方をすれば、「対話を通して自分自身を成長させていく力」を子どもたちの中に育てることを、ロペス先生は何より重視しているのでしょう。

この記録映画の魅力は、もちろん上記のようなロペス先生の子どもたちへの接し方にあることは言うまでもありません。しかし、それ以上に、子どもたちの瞬間瞬間の表情のすばらしさや、学校生活と並行して映し出されるオーベルニュ地方の冬から春にかけての自然の移り行きの美しさに、きっとすっかり魅せられてしまうでしょう。

自分の学校経験によい思い出がある人もない人も、また、将来の教職に関心のある人もない人も、ぜひ見てほしい映画です。

この映画を作ったニコラ・フィリベールは、他にも聴覚障害者の世界を描いた『音のない世界で』という素晴らしい記録映画を製作しています。この映画の中で、聴覚障害者たちが声を出さずに合唱するシーンは感動的です。こちらも必見です。

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Yoshinobu Kato

最近、「らじるらじる」というNHKラジオ番組を聴いています。お気に入りは「大竹しのぶのスピーカーズ・コーナー」と「高橋源一郎の飛ぶ教室」です。

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