2007年11月
| 書 名 | 美しきもの見し人は |
| 著者名 | 堀田善衛 |
| 出版社名 | 朝日新聞社(1995) |
いま私の手元にある堀田善衛の美術エッセイは1969年刊の新潮社版で、フランス、スペイン、イタリアなどの絵画、建築のカラー版を含む写真が、当時としては珍しくたくさん掲載されています。その中の1枚に、南フランスのアルビにあるサン・セシール教会の写真があり、はじめて見たとき、私はその異様さに不思議に心を打たれました。小さな町の広場に突然、空から軍艦が舞い降りたといった風情の、人が近づくことを峻拒している教会。人を癒すのではなく、威嚇するかのような教会。それは私の教会の概念からはほど遠いものでした。しかし、堀田善衛の文章を読んで、私は納得しました。その教会は、異端の町の戦う教会であったのだと。12世紀にアルビを中心とする地方にローマ・カトリックに対する異端の運動が起こり、反抗と弾圧と禍々しい流血の中で、この教会は建てられたのでした。そして600年近くの年月を経て、この教会のすぐ近くの貴族の館で、異形の画家ロートレック(11月13日から名古屋で展覧会あり)が生まれ育ったことも知りました。美は美から生まれるばかりでなく、醜いものを介して美が育まれたり、醜さそのものが美に転化することもあるという複雑な関係を、私はこの本を通して初めて理解できたのでした。
この本を読んでから十数年後の暑い夏の日に、寂れたローカル線の一両電車に乗って、アルビの町を訪れました。赤レンガ屋根の町は死んだように静かでした。サン・セシール教会はその中心の広場に、近くで見ると、写真と変わることなく異様な姿で聳え建っていました。しかし、町を流れるタルン(Tarn)川の対岸から眺めた教会の遠景は、町の家々の佇まいに長い年月をかけて溶け込んできたからでしょうか、息を呑むほど美しいものでした。
作家の鋭い感性を通して書かれた美術エッセイとしては他に、安岡章太郎『絵のある日常』(平凡社)、辻邦生『橄欖の小枝』(中央公論社)、中村真一郎『眼の快楽』(NTT出版)があります。どれも美しい絵の図版入りです。
