2008年8月
| 書 名 | 朗読者 |
| 著者名 | ベルンハルト・シュリンク |
| 出版社名 | 新潮文庫(2003年) |
7月中旬に1週間、ドイツへ行ってきました。ヴュルツブルクというドイツ中部の小さな大学町で開かれた国際行動発達学会に参加するためです。もう何度もヨーロッパに行っているのに、なぜかドイツ語圏にはあまり縁がなく、今回がはじめてのまとまった日数の滞在となりました。
ドイツの地方の小都市が清潔で安全なことに、まず驚きました。私は外国に行くと、街角の公衆電話がコインを入れて問題なく使えるかどうかを一つの指標に、その国の安全度を判断することにしています。その点、ドイツはまったく問題ありませんでした。かつて住んだことのあるフランスでは公衆電話は壊れていて当たり前、若者の集まる街の一角は落書きだらけだったことを思い出すと、隣国どうしのこの隔たりは何だろうかと改めて考えさせられました。
こんなわけで第1日目から、ヴュルツブルクの町の、にこやかに微笑む人々、豊かな生活、ゆっくり流れる時間にすっかり魅せられてしまったのですが、3日目ぐらいから何だか、この「豊かさと清潔」にかすかな違和感を覚えるようになりました。若いときに読んだドイツの小説に描かれていた世界が少しずつ記憶に蘇ったからです。ヘッセやトーマス・マンの小説にも、「豊かで清潔」な小市民的世界が登場するのですが、一方でそれらの小説には何か底なしの暗さや病んだ精神の世界が描かれていました。とすれば、私が一旅行者として目にしている7月の明るいドイツの美しい町並みや人々の健康な顔は、表層にすぎないことになります。実は、人々の心の深層には、阿部謹也(『物語ドイツの歴史』中公新書)が言うように、中世の深い森と泉の世界に繋がる呪術的な心性が今も根強く残っているのかもしれません。そんなことを考えていると、ナチス時代の狂気をも生み出したドイツという国の奥深さ、不可思議についてもっとよく知りたくなり、帰ってからまた読みたい本の種類が増えることになってしまいました。
前書きが長くなりましたが、今回紹介するベルンハルト・シュリンクの『朗読者』は、ドイツ現代小説の中で、私が上記のような意味での「ドイツ的」二面性といったものをもっとも強く感じ、それゆえ、他のどの国の小説とも異なる深い感動を経験した本です。
物語は、15歳の少年ミヒャエルがふとしたきっかけから、21歳も年上のハンナという女性と知り合いになるところから始まります。会うと必ずハンナは少年に本を朗読するよう求め、少年は学校で習った文学作品をハンナのために読む、これが彼らの逢引の習慣となるところが、この小説全体の伏線となっています。小説はミステリー仕立てになっているので、「なぜ朗読なのか?」をここで種明かしすることはできません。あっと驚く秘密が、実はここに隠されています。やがて、ハンナは町から失踪し、その5年後、大学で法学を専攻することになったミヒャエルは、再び偶然、法廷で裁かれるハンナに出会うことになります。彼女は、戦争中、強制収容所の女看守であったからです。この裁判を欠かさず傍聴する中で、ミヒャエルの前に、ハンナの過去と「なぜ朗読であったのか?」の秘密が次第に明らかとなっていきます。
あとはぜひ、ご自分で読んでください。最後はきっととめどなく涙が出てしまうでしょう。それほど深く心を揺さぶられます。
シュリンクには、この小説のほかに、『逃げてゆく愛』(新潮クレスト・ブック)があります。短編集ですが、こちらもお奨めです。
