2008年12月
| 書 名 | 歌のわかれ・中野重治詩集 |
| 著者名 | 中野重治 |
| 出版社名 | ほるぷ出版(1985年) [詩集のみは]岩波文庫(1978年) |
10月末から1週間にわたって行われた県大ファンファーレの行事は、11月5日に無事終了しました。私も期間中、いくつかの行事に参加しましたが、5日の朝に行われた佐々木雄太学長、国文学科の宮崎真素美先生、山口俊雄先生の公開講義《戦(いくさ)と詩歌》からは特に刺激を受けたので、今月はそれに関連する本を紹介しようと思います。
公開講義では、佐々木学長がイギリスの愛国歌、宮崎先生が日本の明治期の軍歌の誕生についてお話になり、それぞれ私の知らなかった事実を教えられました。しかし、自分の読書経験とかかわって、改めて戦争と詩歌の関係について考えるきっかけとなったのは、第二次大戦中、反戦感情を抱きながら時代への鬱屈とした気分の中で生きた石川淳についての山口先生の報告でした。そのお話を聞きながら、私は頻りに中野重治の詩のことを思い出していました。
戦争が為政者によって避け難いもの、大義あるものとして与えられ、それをそのようなものとして受け取るとき、戦意高揚の感情の渦の中に人々は巻き込まれていきます。多くの詩人や歌人も例外ではなく、高村光太郎も三好達治も齋藤茂吉も、戦争中は戦意発揚の詩歌を発表しました。ところが、戦争そのものや戦争への道を大義なきもの、あるいは不条理として受け取る人々にとっては、昭和の初期から敗戦までの20年間(1926年-1945年)は耐え難い時代であったでしょう。この時代は、暴力を背景とする厳しい言論弾圧が吹き荒れた時代でもありました。そうした中で、一部の知識人は、暗澹たる気持ちを抱えながら社会から一歩身を引き自閉することによって、かろうじて自分の良心を支えたのでした。
しかし一方、こうした時代にあっても、反戦詩を公然と書き継いだ人々のいたことを、私はその人たちを襲ったさまざまな不幸とともに忘れてはいけないと思っています。中野重治はその中でも、悲哀と激しさの感情のこもる、もっとも優れた反戦詩を残した詩人でした。正月休みに故郷の雪国に帰省する紡績女工たちを歌った以下に挙げる詩「汽車 三」(1927年)、寒々とした雨の中を朝鮮半島に帰郷する人々を歌い、プロレタリア詩の傑作とされる「雨の品川駅」(1929年)、反戦活動そのものを歌った「夜明け前のさよなら」(1926年)などの中野重治の詩は、小林多喜二の『蟹工船』が静かなブームとなっている今の時代に、もう一度読まれることがあってよいのではないかと思います。
さよなら さよなら さよなら さよなら
さようなら さようなら さようなら さようなら
おれ達はそれを見た / おれ達はそれを聞いた
百人の女工が降り / 千人の女工が乗り続けて行くのを (途中大幅省略)
そこは越中であった / 金持ちの名産の国であった
そこの小さな停車場の吹きつさらしのたたきの上で
娘と親と兄弟とが互いに撫で合った
降りたものと乗り続けるものとの別れの言葉が
別々の工場に買ひ直されるだらう彼女達の
再び逢はないであらう紡績女工達の / その千の声の合唱が
降りしきる雪の中にきりきりと捲きあがった (『汽車 三』より)
この「汽車 三」の詩に典型的に表れているように、中野重治は「別れ」や「かなしみ」やその舞台となる「駅」を好んでテーマとして描いた詩人でした。そして、そうした「かなしみ」を強いる存在への憤怒の感情を詩的表現にすることのできた稀有な詩人でした。もちろん、中野重治詩集の中には、当時の左翼知識人を覆ったロシア・マルクス主義の影響を受けて、政治的プロパガンダの文書としか思えない生硬で稚拙な詩も含まれています。しかし、それでも国を挙げて戦争への道を歩みつつあった1920年代後半から30年代にかけて、深く心を揺さぶる美しい反戦詩が彼によって幾つかは書かれたことを、この国の今を生きる私たちはもっと記憶に留めてもよいのではないかと思います。
中野重治は1902年に福井県に生まれ、1926年の東大在学中にプロレタリア文学運動に参加、1930年5月に治安維持法違反で逮捕・起訴、12月保釈、1932年4月再び逮捕、1934年5月まで豊多摩刑務所に収容されます。そしてその月、東京控訴院法廷で共産主義運動から身を引くことを約束して出所、いわゆる「転向」作家として以後の戦中を深い心の傷とともに生きることになります。治安維持法違反で逮捕された1930年頃から、中野重治は詩を書かなく(書けなく)なり、以後、戦後もその執筆活動は小説に限られていきます。その理由をめぐっては様々な憶測が可能ですが、中野重治自身が日本の詩歌の伝統の中で育んだ自らの詩的感受性の中に含まれる「軟弱な」美意識や感傷性をどう乗り越えるかを、20代のはじめから課題として意識していたことが大きいと言えるでしょう。それゆえ、「歌」と題する作品(1926年)の中では、「お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌ふな / 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌ふな」と「歌う」ことの禁止を逆説的に歌うことになったのです。また、戦争中に執筆した自伝的小説『歌のわかれ』(1940年)では、「精神の貧弱さから知らず知らずのうちにどたん場を避けて」生きる青春期の自分への決別を、それまで親しんだ「短歌の世界」への別れと重ね合わせて描いています。ただ、このような課題意識が、治安維持法下の圧倒的な権力の暴虐の中で、また、それに対抗する政治運動の未熟さの中で、正当な解決の道を見出せず、中野重治自身の優れた詩的資質そのものの圧殺に繋がっていったことを、私は時代の不幸として悲しまざるを得ません。
中野重治の一生を知るには、松下裕『評伝中野重治』(筑摩書房)が適当です。また、詩の解説としては、北川透『近代日本詩人選 中野重治』が優れています。
